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【特集記事】グロリア・スーパー6|G7型エンジンと高性能セダンの夜明け

第1章|はじめに|高級車の新たな系譜、グロリア・スーパー6の衝撃

1963年6月。 日本のモータリゼーションが本格化するなか、ひとつの“国産セダン”が歴史に爪痕を刻む。 それが、プリンス・グロリア・スーパー6(S40D-1型)だ。

このモデルの登場は、当時の自動車業界に文字どおりの“衝撃”をもたらした。 見た目は端正な4ドアセダン──しかしそのボンネットには、国産初の直列6気筒OHCエンジン「G7型」が隠されていたのだ。

最高出力105馬力、最高速は155km/h。 この性能は当時としては圧倒的であり、トヨタ・クラウンや日産・セドリックを凌ぐ存在感を放っていた。

そしてこのグロリアこそ、「スカイラインからの完全独立」を果たした初のプリンス製ラグジュアリーカー。 高級感 × 高性能──いまや当たり前の“上級セダン像”を、昭和38年の時点で体現していたのだ。

本記事では、そんな「スーパー6」の持つ魅力、性能、デザイン、そして現存個体の姿まで、筆者が撮影した実車写真とともに全7章で徹底解説していく。

高級セダンという言葉に、日本車が初めて本気で挑んだ瞬間。
その真実を、これからじっくりと追いかけていこう──。

第2章|開発背景とモデル概要|スカイラインからの完全分離

1962年9月。 プリンス自動車は、従来のスカイラインから派生していた“グロリア”に対し、フルモデルチェンジという大胆な一手を打った。 こうして誕生したのがS40型グロリア・シリーズ──そして、その最上級モデルがスーパー6(S40D-1型)だった。

この時点でグロリアは、名実ともにスカイラインと決別する。 もはや派生車ではない。 スタイリングから設計、シャーシ、装備に至るまで、完全に独自開発された“高級セダン”として生まれ変わったのだ。🛠 モデル展開の流れ(一次資料ベース)

  • 1962年9月:初代S40型グロリア登場(直4搭載)
  • 1963年6月:グロリア・スーパー6(S40D-1型)発売  → G7型 直列6気筒OHC 1988cc/105HP/155km/h
  • 上級指向・高性能モデルとして独立展開

このスーパー6には、スカイラインとは異なる方向性が与えられた。 それは高級性・乗り心地・静粛性・パワーといった、当時の“舶来セダン”に求められていた価値を国産技術で叶えるという挑戦だった。🚘 価格帯とポジション

グロリア・スーパー6の価格は約90万円

つまりこのクルマは、プリンスの総力を結集した“技術の結晶”であり、 後に登場する日産・ローレル、トヨペット・マークII、ホンダ・レジェンドといった“国産上級セダン群”の先駆け的存在だったといえる。

第3章|G7型エンジンの革新|直6OHCが描いた国産高性能の夢

1963年6月。 グロリア・スーパー6とともに発表されたエンジン──それがG7型 直列6気筒OHCエンジンだ。 当時の国産車にとって、このOHC(オーバーヘッドカムシャフト)構造の6気筒エンジンは、まさに革命だった。🔧 G7型エンジンのスペック

項目内容
形式G7型
種類直列6気筒 OHC(オーバーヘッドカム)
排気量1988cc
最高出力105馬力 / 5200rpm
最大トルク16.5kgm / 4000rpm
燃料供給シングルキャブ

🚀 高性能と静粛性を両立

このエンジンは単に出力が高いだけでなく、非常に滑らかで静かな回転フィールを持っていた。 当時のレポートでは、「国産車で初めて“エンジン音が消える”と感じた車」と評価されるほどだった。

また、OHCレイアウトにより高回転でもバルブ挙動が安定し、 それが高速走行性能・ロングクルージング性能の向上に直結していた。🏆 「高性能=欧州」という常識を壊した一台

当時、輸入車市場ではベンツ・BMW・アルファロメオといった欧州勢が直列6気筒を代名詞としていた。 そんな中で、プリンスは国産技術だけで、それと同格のパワートレインを作り上げたのだ。

このG7型エンジンは、後のスカイライン2000GT(S54型)や、日産統合後のグロリア/セドリックにも影響を与える、まさに源流となった。このエンジンがあったからこそ、グロリア・スーパー6は“羊の皮を被った狼”とまで言われた。

第4章|スタイリングと装備の美学|フラットデッキと打ち抜きグリルの魅力

グロリア・スーパー6(S40D-1型)は、その高性能な中身だけでなく、外観からして特別だった。 開発当時、プリンスのデザインチームは「セダン=退屈」ではない、新しいカタチを模索していた。✨ 船のデッキをヒントにした「フラットデッキ」スタイル

ボディラインで特に注目すべきは、“フラットデッキ”と呼ばれる水平基調のプロポーション。 これは文字どおり、船の甲板(デッキ)からインスピレーションを得たものだ。

高い位置に整えられたウエストライン、すっきりと伸びたボンネット&トランクリッド、 そして全体を引き締める薄手のルーフ──このシルエットが輸入車風の上質感を醸し出していた。🛠️ グリルとボディの精密さ

フロントグリルは、もともとスカイライン・スポーツ用に製作された打ち抜きプレスパーツを採用。 このシャープな縦バー&繊細なメッキ加工が、グロリアの上級感を象徴していた。

また、ヘッドライトベゼル、サイドモール、ドアハンドルなど、細部の処理も全体の印象に影響を与えている。 「国産車でもここまで作れるのか」と、欧州車ユーザーにも一目置かれる完成度だった。💼 内装・装備も“プレミアム志向”

  • 2トーンカラーのインパネに、クラシカルなメーター配置
  • 広いシートと分厚いドアトリムで乗員を包み込む構造
  • 助手席にはグロリアの刺繍入りグローブボックスが付属

「走りのためのエンジン」+「魅せるための外観」+「包むための内装」 ──そのすべてを国産セダンに初めて統合したモデル、それがスーパー6だった。

第5章|走行性能と実力|105馬力、155km/hが示す真価

グロリア・スーパー6(S40D-1型)は、ただ“6気筒エンジンを積んだ高級車”ではなかった。 このクルマのすごさは、「本当に速かった」という事実にある。🏎️ 105馬力・155km/hの衝撃

当時のライバル──トヨタ・クラウン、日産セドリック──はいずれも80〜90ps台の4気筒エンジンが主流だった。 そんな中で、スーパー6は直列6気筒・105psのG7型を搭載。 しかも公称最高速は155km/h当時の量産セダンとして国内最速クラスだった。

ゼロスタートからの加速はスムーズで力強く、高速巡航も余裕のあるフィール。 欧州車オーナーの一部には「クラウンよりも静か」「セドリックよりもスムーズ」といった驚きの声もあったという。⚙️ シャシー・足回りの熟成

  • 前輪:ダブルウィッシュボーン独立懸架+コイルスプリング
  • 後輪:リーフリジッドながらチューニングにより操縦性良好
  • ステアリングはボールナット式、操作感に優れる

足回りにはプリンス独自のノウハウが活きており、「柔らかく快適なのにコーナーで踏ん張る」というセッティングが絶妙。 当時のオーナーは「国産でこんな走りができるとは思わなかった」と語ったという。🛞 ブレーキとトランスミッション

ブレーキは前後ドラム式ながら、大径ドラムを採用して制動力を確保。 トランスミッションはフロアシフト式の4速MTで、クロス気味のギア比により加速性能に優れたセッティングとなっていた。

ただ“いいエンジンを載せただけ”ではない。 シャシーと制御系をきちんと整えた上でのパフォーマンス。 そこに、プリンスの真剣なクルマづくりの姿勢があった。

第6章|現存車の記録と撮影ギャラリー|“静かなる狼”の実像

グロリア・スーパー6は、今ではほとんど姿を見かけることができない希少車となった。 当時の販売台数も少なく、現存車は全国でもごくわずか。 そんななか、相棒が実際に訪れ、記録した博物館保管車両の姿は、まさにアーカイブの核になる貴重なものだ。

ここでは、9枚の実車画像を通して、スタイリング、質感、細部の作り込みまでを体感してもらいたい。 「この車が、当時の国産車の限界を超えたのか」──そう感じてもらえるはずだ。

まとめ|「スーパー6」が切り拓いた国産セダンの未来

グロリア・スーパー6(S40D-1型)は、単なるマイナーチェンジやグレードアップではなかった。 それはプリンス自動車が、スカイラインと決別し、国産セダンの理想を形にしようとした真剣な答えだった。

直列6気筒OHC・G7型エンジンの105馬力、 流れるようなフラットデッキのボディライン、 欧州車と張り合える静粛性と乗り心地、 そして「国産でもここまでできるんだ」という希望。

この一台が後に与えた影響は計り知れない。 のちのローレル、マークII、セドリック・グロリア、そしてクラウンなど、 日本中のメーカーが“本気のセダン”を目指すきっかけとなった。

今この車を見て、「地味だけどカッコいい」と思う人がいたら、それは当然だ。 この車には“国産高級セダン”という言葉の出発点が、はっきりと刻まれている。

スカイラインから離れて見えた世界。 それが、スーパー6の描いた未来だった──。

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