1952年、まだ国民の多くが軽自動車すら見たことのない時代に、たった50台だけ作られたスポーツカーが存在した。
それがダットサン・スポーツ DC-3。
この“前日譚”から始まり、「フェアレディ」という名が日本のモータースポーツ史を彩っていく。
1960年代には、“フェアレディ”の名を冠したオープン2シーターが次々と誕生し、国内外で多くのファンを獲得。
そして1970年、S30型「フェアレディZ」の登場によって、それはグローバルブランドへと昇華した。
北米では「ダットサン240Z」として熱狂的なヒットを記録し、日本車の存在を世界に知らしめた記念碑的モデルである。
つまりZとは、DC-3から積み上げられた”血統”の結晶なのだ。
本記事では、そのフェアレディの進化と意志を、DC-3からZ432まで一気にたどっていく。
日本初の本格的2シーター・オープンカー。
木骨+鋼板で構成されたその車体は、手作業に近い手法でわずか50台だけ生産された。
これが、フェアレディの“始まりの鼓動”だった。
👉《アーカイブ記事リンク予定:DC-3|日本初のスポーツカー》
1960年、ついにその名が登場する──「フェアレディ」。
米国ミュージカル『マイ・フェア・レディ』にちなんだこの名は、輸出志向の象徴でもあった。
このクルマの中に、“Z”へと続く輸出戦略の原型があった。
“1600”という名が示すように、排気量アップとともに走りが本格化したモデル。
国内向けの右ハンドルが追加され、日本でもスポーツカーが手に届く時代に突入。
軽量×高出力という「ライトウェイトスポーツ」の黄金比がここにある。
フェアレディの名がモータースポーツの勝者として刻まれたのが、このSR311だ。
Z以前に、世界で名を上げた“もう一台のフェアレディ”──それがSR311である。
Zはもはや説明不要かもしれない。
だが、DC-3から積み上げた“血統”がなければ、Zもまた存在しなかった。
Zは「フェアレディ」という名をグローバルブランドへと昇華させた。
S30型フェアレディZの最上位に位置づけられたのが、この「Z432」である。
型式はPS30型──プリンス技術が惜しみなく注がれた“完全体”だった。
エンジンは、スカイラインGT-R(PGC10)と同じS20型を搭載。
“432”とは、4バルブ・3キャブ・2カムの略称であり、量産Zとは別次元のメカニズムを誇った。
Z432はレースベース車としても活用され、価格はZ-Lの約2倍となる185万円。
まさに別格の存在として、ファンの記憶に刻まれる特別なフェアレディだった。
DC-3という無名の挑戦から、SR311というレーシングヒーローを経て、Zという世界戦略車へ──
フェアレディの名には、“夢に向かって走る意志”が込められていた。