1959年。
それは、日本が高度経済成長に向けて走り出した年。そして、国民車構想に応える形で誕生した軽自動車が、街に姿を現し始めた時代だった。
その先頭に立っていたのが、このスバル360 K111型だ。 前年の1958年に初登場したスバル360(EK31)を改良し、より安定した生産体制と市場供給に乗せた最初の実用型量産モデル──それがこのK111型だった。
現在、トヨタ博物館に展示されているこの実車は、まさにその“原点”を象徴する1台。 1本ワイパー、スライド式窓、分割バンパー、飛び出した「デメキンライト」──そのすべてが、最初期のスバル360の証だ。
車両重量はわずか385kg。 それでいて大人4人が乗れる室内空間を確保し、「軽自動車=チープ」のイメージを覆す快適性と完成度の高さを誇っていた。
この記事では、この1959年型K111型をベースに、当時の設計思想、スペック、スタイル、そして社会的背景に迫る。 スバル360の“顔”を持つ最初の1台──その記録を、ここに残そう。
K111型は、1958年にデビューしたEK31型をベースに、量産・信頼性・コスト面を見直した改良型だ。 ここでは、その構造的な特徴と主要諸元を、一次資料と現地展示情報に基づいて整理しておこう。🔧 主要スペック(1959年型 K111)
項目 | 内容 |
---|---|
全長 | 2,990 mm |
全幅 | 1,300 mm |
全高 | 1,380 mm |
ホイールベース | 1,800 mm |
車両重量 | 385 kg |
エンジン | 空冷2ストローク直列2気筒(EK32) |
総排気量 | 356 cc |
最高出力 | 16馬力 / 4,500 rpm |
駆動方式 | RR(リアエンジン・リアドライブ) |
トランスミッション | 3速マニュアル |
価格(発売当時) | 42万5千円 |
🧠 設計哲学:なぜ“360”は軽自動車の象徴になったのか?
スバル360は、単なる小型車ではなかった。
それは「日本のために、日本で作る」という思想の結晶だった。 このK111型は、その理想を量産レベルにまで引き下ろし、市場に広く普及させた最初のカタチといえる。
スバル360を語るうえで、この“顔”を忘れてはいけない。 前方に突き出したような大きなヘッドライト──通称「デメキンライト」は、まさに360初期型の象徴だ。
🔍 フロントマスクに刻まれた個性
K111型は1958年のEK31型を引き継ぎ、丸みを帯びたフロントに大きなヘッドライトを配置。 しかも、このライトはフェンダーからやや飛び出したデザインで、まさに「出目金」のごときインパクトを放つ。このデザインは当時の空力的な考慮や製造コストの都合も絡んでいたが、 今日ではスバル360=デメキン顔として親しまれる最大の理由になっている。
☔ 伝説の“1本ワイパー”
このK111型のもうひとつの特徴が、フロントウィンドウ中央に装着された1本ワイパー。 当時としては斬新で、コスト削減と構造簡素化を目的に採用されたが、実用性も意外と高かった。しかもそのウィンドウは2分割式ではなく1枚曲面ガラス。 量産モデルとしてのK111型は、視界性にも配慮された設計になっていたのだ。
✨ その他のスタイル的特徴
このように、K111型には初期型ならではの“割り切った簡素さ”と“親しみやすい造形”が詰まっている。 それは「安くてもちゃんとしてる」──そんな戦後日本の価値観と夢を体現していたのかもしれない。
見た目のインパクトだけじゃない──スバル360 K111型の魅力は、その驚くべきパッケージングと実用性にもある。 当時の軽自動車枠(全長3m未満・幅1.3m未満)の中で、「大人4人が座れる車」を実現するという高いハードルに、スバルは真正面から挑んだ。🛋️ シートと車内空間|シンプルだけど機能的
後部座席は小柄な日本人家庭を想定して設計されており、“狭いけど座れる”ギリギリの絶妙バランス。 子ども2人なら充分な広さで、「一家4人での移動」が現実的になったのは、K111型の大きな功績だった。🚪 ドアと窓まわり|軽量化とコスト配慮の工夫
これらは当時の「小さな車」に求められた実用性と製造現場の現実を考慮した結果だ。 K111型は、豪華さよりも“本当に必要なもの”に絞った設計が特徴といえる。🧭 計器類と運転装備|“動けばいい”じゃ終わらない設計
装備は必要最小限だが、そこに「安くてもちゃんとしてる」という富士重工の美学が見て取れる。 なかでも3速ミッション+RR方式の組み合わせは、当時の国産車にはなかった独自性だった。
この室内に座ったとき、人々は「軽でもクルマっていいな」と思ったに違いない。 それが、スバル360の偉大な第一歩だったんだ。
🔗 外部リンク(External Links)
1959年。
日本の平均的なサラリーマンの月収は、およそ1万5千円前後だった。 そんな時代に42万5千円 💴 初期型スバル360の価格
モデル | 発売年 | 価格 |
---|---|---|
スバル360(EK31) | 1958年 | 42万5千円 |
スバル360(K111) | 1959年 | 据え置き価格(42万5千円) |
この価格設定は、当時の人々にとってまだ“憧れ”の水準だった。 しかし、軽自動車という枠の中で4人乗り・高性能・高剛性というスペックを備えていたことを考えると、「買う理由」がしっかりある価格でもあった。🚗 スバル360がもたらした“市民カー”のはじまり
クルマが“ぜいたく品”とされていた時代。 スバル360は“初めてのマイカー”という夢を与えた存在だった。 それが、1960年代の爆発的なモータリゼーションへとつながっていく。🔑「国民車構想」への回答
スバル360 K111型は、まさに国が提唱した“国民車”の条件を満たした第一号とも言える存在だ。
- 大人4人が乗れる
- 燃費30km/L以上
- 最高速100km/h
- 販売価格25万円程度(理想)
価格面では目標より高かったものの、その他の性能面では圧倒的に先を行っていた。 だからこそ、スバル360は“現実的な国民車”として市場に受け入れられたのだ。
スバル360の初期型、しかもK111型となると、現存数は極めて少ない。 だが、トヨタ博物館には、奇跡のように保存状態の良い個体が静かに展示されている。
筆者はこの実車を撮影するため現地を訪れた。 その姿には、写真やパンフレットでは伝わらないリアルな存在感と美しさがあった。📸 撮影個体の特徴(1959年式 K111型)
当時の設計を忠実に再現したこの個体は、“360の原点”を語る資料として非常に貴重だ。 外装・内装ともに丁寧にレストアされており、スバルというブランドがどこから始まったのかを実感できる。
この実車に触れたとき、思わずこうつぶやいた── 「このクルマから、すべてが始まったんだな」と。
スバル360 K111型。
それは単なる“安いクルマ”ではなかった。 日本の国民車構想に初めて応え、実際に走り出した実用型の量産軽自動車だった。
わずか385kgの車体に、空冷2ストロークエンジンを詰め込み、 大人4人が乗れるパッケージングを実現し、 1本ワイパーやスライド窓、RR方式などの創意工夫に満ちた構造──。
それらはどれも、当時の日本の技術と現場力、そして“自分たちの手で車をつくる”という気概の賜物だった。 価格こそ42万5千円と高価ではあったが、それでも人々は憧れ、夢を乗せて街を走った。
今、トヨタ博物館に静かに佇むこのK111型を見ると、 その姿の中に「日本の自動車史の夜明け」が、たしかに宿っていると感じる。
てんとう虫は、羽ばたいた。
そしてその羽音は、今もなお、日本の道路を響かせ続けている──。